関東地方は梅雨が明け本格的な暑い夏がやってきました。
FBFの皆様にはくれぐれも水分と適度な塩分補給をして熱中症などに留意されます事を心よりお祈りいたします。
暑い夏といえば今や定番となった売国奴メディアによる戦後レジームを必死で護ろうとする「日本悪玉報道」のオンパレードの季節がやって来ましたね。
賢明なる我がFBFの皆様には今更と思われる方々もおられることと推察いたしますが、人間は洗脳という恐ろしい手段によって善悪の逆転は簡単に行ってしまう動物です。
例えば広島長崎の被爆者の皆さんは自分達を直接的に苦しめた本来の加害者である米国をはじめとした戦勝国を敵と思わず日本国を敵として捉えている人も多いのです。
また沖縄では日本が主権を回復した日を屈辱の日と考えている人もいるようです。
佐藤栄作総理は沖縄の同時返還を求めて随分粘ったそうですが米国が手放さなかっただけの話で敵はアングロサクソンであるにもかかわらず未だに実敵を忘れさせられているという敵の術中に嵌っている実感はないでしょう!
戦後の歌謡界でも同様のことが起こりました。
島倉千代子さんが歌った「東京だよおっかさん」などもその一例です。
一番の詩に「宮城」という語りがありますが、最初はこの様に歌っていたものを反日思想が蔓延するとこの部分の語りを変えない限り出演をさせないなどという圧力をかけたのです。
2番に至っては全てを端折り歌わせてもらえなかったと後日談で島倉さんが語っております。
この歌を聞きますと、私はいつも思い出すことがあります。
昭和40年代に父に伴われて靖国神社を参拝したおりの事です。
大鳥居をくぐり、大村益次郎公の銅像を過ぎ茶店が近づいた時に、傷痍軍人の一人に対して父がいきなり大きな声で怒鳴りつけ始めたのです。
母は辺りを憚り父を諫めようとしましたが、父は聞く耳を持ちません。
白衣に白の巻脚絆で戦闘帽をかぶった傷痍軍人姿の人は我が兄と同年代にしか見えない若者だったからです。
そして父が激怒した理由は彼が片言の日本語しか喋れない半島出身と思われる人だったからです。
そうした人々は半島から大挙して密入国して来ました。
自分達が生きる為に!
それが強制連行されたと主張する彼らの生きる術だったからです。
こうした昔を考えると、今の慰安婦や南京がどうしてメディアに取り上げられるのかがよくわかるのではないでしょうか?
それにしても島倉さんのこの曲は本当に名曲だと思います。
この歌詞には実は書かれていない部分の謙虚な日本人の心情が込められていると思うのは私だけでしょうか!
これからも歌い継がれてゆくことを望みます。
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